IB修了生の声・教育関係者のコラム

茗溪学園高等学校 2023年3月卒
藤井 創太さん
茗溪学園高等学校を2023年3月に卒業。 現在はDePauw Universityに在籍し、Business Analytics(ビジネス分析)とComputer Science(コンピュータサイエンス)をダブルメジャーで学んでいる。また、AIの理論研究にも取り組んでいる。
IBを通して身についた力
IBの教科横断的な学びを通じて身についたのは、「学問領域同士が影響し合いながら知識が(概念)形成されていく」感覚である。例えば、全員がコア科目として受講するTOKでは、明示的に複数の学問領域を扱いながら特定の問いに応えていくような活動を行う。また、私は課題論文(EE)で『枕草子』についての研究を行い、歴史のIAで取り扱った皇位についての研究と並行して進めることで、文学と歴史が相互に影響しあっている様子を実感することができた。これは古くからリベラルアーツとして形成されてきた、転移を可能とする学びの様相とも言えると思っており、この感覚を高校で体験することができたのはIBを選択することのひとつの強みと考える。
また、IBでは分野のバランスを自分自身で一定程度調整できる体制が整っていることで、「自分の将来を常に考えながら物事を選択する」意識づけができるようになったと考えている。6つの教科グループから基本的には一つずつ科目を選ぶという前提はありながらも、人文系に寄せた選択や数理系に寄せた選択など、ある程度自分自身で調整できる。
また、TOKやEEを通じて、さらに知識を横方向に広げたり(分野等の枠組みを越えたり)、縦方向に深めたり(特定の分野を深く追求したり)というような選択の場も存在する。もちろんこれによって、その後の選択の幅が逆に狭まってしまう可能性や、無意識のうちにいずれかの方向に傾倒してしまうような可能性もあるが、他人とのコミュニケーションや定期的に思考を巡らせる時間など、自分を客観視する場はいくらでも設けることができる。ゆえに、その限界を超えて、自分と向き合いながら考え続ける個人として成長できるシステムは非常に価値を感じている。
IBで身につけた力の活用
IBをやっていて良かったと感じるのは、先述の「常に考えながら選択し続ける力」が今も自分を動かしていることに気づく瞬間である。実際に、大学入学時は「教育学」と「ビジネス分析」を専攻にしようと考えていたが、実際は「ビジネス分析」と「コンピュータサイエンス」に変わり、今ではコンピュータサイエンスを選択するに至っている。本専攻では、AIの数学や理論が学びの基盤となっている。きっかけは、ビジネス分析の授業で機械学習モデルを頻繁に使う一方、その中身を理解しないまま使うだけの状況に強い違和感を覚えたことだった。この違和感の根底には、IBで培われた表面的な理解で満足できない追求力があったと思う。また、この先AIが普及していくにつれ、AIを使うだけでなく、設計や役割を理解していることが重要になるような場面も多くなり、そこで自分で価値を生み出せるようになりたいと考えた。このように大学の授業選択でも、良い成績が取りやすかったり、楽しかったりというだけでなく、挑戦的で、将来自分が使いたい学びが得られる授業を積極的にとることはIBの経験が生きている部分だと思う。
TOK(知の理論)で学んだこと
TOKの最大の価値は、やはり学問領域を横断的に分析しながら問いに応えるというプロセスを通じて、学問領域同士が時には共通のアプローチや相互的な関わり合いを経て、知識が形成されていく過程を学ぶことができる点だと思う。個人的に最も印象に残っている議論は、「正確性(Accuracy)と確実性(Certainty)の違い」と「事実(Fact)と真実(Truth)の違い」であり、ありのままの事実が背景の異なる各個人の解釈によって各々の真実を持って、記憶されるという視点は、当時受けていた歴史の授業の見方を大きく変えたと感じた。同じ歴史上の事実も立場が違えば、正義にも不正義にもなり得る例は往々にしてあり、その認識を持っていると持っていないとではIBの歴史から学べる内容は大きく変わるだろうと感じる。このように当時の私にとっては歴史の見方を変えた議論だったが、大学で情報理論の授業を受け、元々は情報通信における正確性を目的として発展した理論であった一方で、確実性という視点で言語学などの他分野や日常生活にも拡張されると感じたこともあり、当時の議論と学問の繋がりを改めて感じるような体験もあった。
CAS(創造性・活動・奉仕)で印象に残っていること
CASでは中高校生を対象にした無料塾でのボランティアに約400時間取り組んだ。この経験を通じて実感したのは、各個人が日常として生きている環境こそが、その人にとっての当たり前を形づくっているという感覚だった。同じ事実でも、生きてきた文脈が異なれば伝え方も理解のされ方も変わる(まさに上のTOKの議論の内容)。この気づきが、大学入学当初は教育学を専攻しようと考えたきっかけになり、今でも学びに繋がっている。前項の情報理論の授業では、言語という単語単位で非連続に制限された表現で、言語で表しきれない連続的な個人の解釈(「言外の意図」なども含まれる)を伝えようとする過程で必然的に情報のロスが生じることや、言語の使い方・伝わり方が個人の生きてきた環境に依存するものであることを考える機会があった。もちろん授業中にそこまでの認識をしていたわけではないが、後から振り返って実感したことであり、少なからず影響を受けたことは間違いない。
大学受験や進路選択で意識したこと
大学進学にあたっては、リベラルアーツカレッジに進むことを意識していた。分野を横断しながら知を深めていくIBでのリベラルアーツ的な学びに面白さを感じており、大学でもそのような学びを続けていくことで自分の考え方・ものの見方を深化させていきたいと考えていたためである。当時は「教育学」と「経営学」を専攻したいという思いがあったが、同時に大学生活で経験を積む中でさらに興味の幅が広がるだろうという予感もあった。そのため、入学前から専攻を一つに絞り込む形態ではなく、広く挑戦できる環境を選ぶことを優先した。実際、この選択がなければ、後にコンピュータサイエンスに挑戦する機会自体が生まれていなかったと思う。進路選択の時点での知識の幅で答えを一つに決め切らず、選択肢を意図的に残しておいたことが、今の自分の学びの土台になっている。そのため、必ずとは言い切れないが、少なくとも私の経験からは、IBでの学びが好きな人ほどリベラルアーツカレッジは選択肢として見てほしいと思う。
今後のキャリアについて
正直なところ、将来のキャリアについてはまだ完全に定まっているわけではなく、悩んでいる最中にある。昨年は就職活動も自分が最低限納得できるところまでは行い、今年は大学院への出願をしようとしている。ただし、一貫して意識しているのは、「後からやっておけば良かった」と後悔することができるだけないように早めに動きつつ、最終的に一つを選ばなければならない瞬間にできるだけ多くの選択肢を残しておくということである。結局のところ、最終的な決断をする未来の自分は、今の自分よりも多くの経験をして、見えている景色がずっと広いので、その未来の自分が判断できる材料や取れる選択肢をできる限り増やしておくことが、今の自分にとって大事な役割だと思っている。この考え方は、IBの科目選択の時から意識していたことで、中学生の時にどちらかというと苦手だった数学を数学AA HLにしたのもこのような理由だった。それでも後悔をゼロにすることは難しかった(例えば、ここまでAIについて勉強するのであればGroup 4は生物ではなく、物理にしておく方が良かったと思っている)が、少なくともその時々の自分にできる最大限をやることは変わらず重要なことだと考える。
IB校での学びの環境や人との関わりで、印象に残っていること
IBという学びの環境そのものは、良くも悪くも柔軟性が高いと感じている。この柔軟性の質は自分の選択できる範囲を超えた外部的な条件に左右される部分もあるが、それを切り離して考えても、IB自体は「自分で考え、主体的に選択し続ける個人」を育むことを主目的としたカリキュラムであることは相違ないと思う。私の場合は、親もIB修了生なので、このことを共通認識として共有できていたため、相談しながらも自分で意思決定をする環境を作ってくれていたのは非常にありがたかった。一方で、はじめからそのような環境でなかったとしても、このような一定の自由意志がIBの価値として感じるのであれば、周囲と共有することもIB生としての責務の一つだと思う。
加えて、自分が通っていた茗溪学園の環境は、筑波大学との繋がりを持つ伝統を持った国内一条校でありながら、近年ではアカデミアコースの新設やケンブリッジ国際校としての認定などの動きがあるように新しい文化を作り続けている点でユニークだったと思う。部活動に打ち込むクラスメイトなどやIBコース以外の生徒との関わりも作ることができたので、多様な価値観や経験に触れられたことは、この学校ならではの財産だったと思う。